landetvous のすべての投稿

食べること

2019.08.22

珍しい、今朝のガッツリ朝ごはん。

紫黒米(もちろん、萩のむらさき!)に、昨晩作ったキーマカレー。

もともとキーマカレーを作る予定ではなかったのだけれど、夏に食欲をそそるものを…と思い、豚のひき肉を買っていたので、玉ねぎ・色とりどりのピーマン・ごぼうを使って歯ごたえのあるものに。

いっぱい噛まないといけないものは疲れるけれど、食べてる充実感はすごく得られる。

 

先日、紫黒米をたくさん炊いて、塩にぎりにして、数品作った常備菜と一緒に母に渡しました。

 

今、わたしの母は、先月末に戸籍上わたしの父となった人=『父』の介助(原発:肺がん、脊椎転移のため外科手術済み、入院中、ⅣB)疲れで、食事もデパートのお惣菜などをとりあえず口に押し込むような毎日だったそうだけれど、持っていったものをおいしいと言ってくれ、翌日も元気に起きられた!ということでした。

 

実は今月に入って、本人の意向でその父のためにファイトケミカルスープというハーバード大学式野菜スープ(免疫栄養学的に根拠があるらしい)を毎週作りはじめて、仕事の関係でそれまで自炊さえままならなかったのに、スープを取り除いた残りの具材(玉ねぎ・キャベツ・人参・カボチャ)が必然的に手元に残ることで、それを自分の食事にあてればいいのだと思うようになったのです。
それを、カレーにしたりクリームシチューにしたり、オムレツにしたり。
そこから、疲れている母のためにも何かできないかと思い、スープを煮込んでいる時間に、母の食べるものを作り、その半分を自分の常備菜にすることにしたのでした。

 

実は6年前、今は亡き祖母が膵臓癌で食欲もほとんどなかったとき《☞祖母の最後の1ヶ月―記録、祖母の家の冷蔵庫にあったものでトマトスープを作ったら、おいしいおいしいと言って完食してくれたことがありました。

 

そのときもそうだけれど、家族の誰かが作った食事というものは、どんなに腕のいいシェフでも叶わない、食べることに関してパワーを与えるものなのだと実感した過去があります。

父が、娘の作ったファイトケミカルスープを飲んでいるという実感、母が、娘の作ったおかずを食べているという実感。
これってとても大切なことなのだと思います。
 
わたしには出来ないことが多いけれど、出来ることと言えば、時間を作って料理すること。

わたしという存在の役割。
それが、少しでも、少しでも役に立てますように―

ニヒリズム

2019.06.05

新しい年を迎えたと思ったら、もう6月-

ぐるぐるといろんな思いに揉みくちゃにされながら過ぎた5カ月でした。

 

 

❝石の上にも三年❞

よく使われることわざだけれど、わたし自身もそう思って今まで何度か実践してきました。

3年って意外と長い。でも、過ぎてみるとあっという間です。

その期間で見切りをつけることもあれば、3年経つ頃に自分が変われていたり、環境の方が変わっていたり。

その年数が目安だとしても、昔の人はほんとうによく言ったものだと思います。

5年前のInstagramにも同じようなことを書いていました。

ずっと頭にあることなんだな、と―

 

実は1年半ほど、朝から夜中まで仕事を3つ掛け持ちで働いていました。

少し無謀な働き方だったけれど、それはわたしの経験となり、ある部分では自信に繋がったと思います。

それは説明なんてできない、蜘蛛の糸のように張り巡らされていて、そして全てが伏線のようでもありました。

 

6月から、以前から仲居として働いていた日本料理のお店で、広報という仕事もプラスして社員として働いています。

今まで積んできた経験が生かせるかも知れない、そしてもっともっと勉強しなければいけない。

でも、知ること・学ぶこと・創ることが好きなことには変わりはないので、楽しんで仕事が出来たらしあわせです。

 

 

制作はお休みしているけれど、デザイン仕事はいくつか。

またこちらでお知らせいたします。

 

この投稿のタイトルは、自分がそういう主義なんじゃないかと思ったときに打ち込んだもの。
でもある意味、今でも変わりはないな、と―

 

ニーチェによれば、

1.

ニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けて2つある。何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、消極的・受動的ニヒリズム)。

2.

すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、積極的・能動的ニヒリズム)。

 

わたしはどちらもあるけれど、どちらかと言えば後者寄りです。

出来る限り生きる、悩みつつ楽しんで。でも、出来なかったらごめんなさい、でいいじゃない?と。

 

そんなこんなの最近です。

 

 

明けましておめでとうございます

2019.01.08

明けましておめでとうございます。

暖冬と言われながらも年末から急に寒くなったけれど、去年は3日に雪が降ったことを思えば、凍えるほど寒くもないんだなー、と思います。

 

そういえば―、

こんな連休、どれくらいぶりだろう。

 

大晦日の午後2時に仕事を納め、実家に。
みんなでお鍋をつついたあと、最近特に就寝時間が早くなった母は先に寝てしまったけれど、母の連れ合いと2人で歌いながら、紅白を最後まで楽しみました。

 

翌日の元旦に、近所にある神社で引いたおみくじは、なんと大吉◎
珍しく戒めなどが書かれていなくて、All OK!という内容で驚いたけれど、お守りとして手帳にはさみました。

 

そういえば、今年に入って2018年を振り返ると、人の辛さや悲しみをとにかく想像した年でした。

生きていく上で必要なものを失った人、負った傷の大きさに将来を悲観した人、そして消えていく命―

いつかは通る道でもあるし、自分もそうだったら…と考えたとき、行きつく先は1つなんだということも。

してあげられることは何一つないということも、それが現実なのだということも。

だからたくさん想像し続けました。

その人一人だけのことではなく、周りの家族や友達が、そのことでどれほど心を痛めるかということも含めて。

想像で作られた痛みというのは、現実よりも疼き、広範囲に倍増していきます。

それで体調を崩しかけたとき、これ以上想像するのは自分のために良くないと思い、全ての想像を少しずつ忘れる努力をしました。

どちらにしても、脳の成すことなので、コントロールはできるようです。

 

2019年は、2018年に出来なかったこまごました目標を一つずつ達成していけますように―

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

こんな日も

2018.12.24

クリスマス・イブ、久しぶりの休日でした。

前日の帰宅は朝の4時くらいだったけれど、昼には起きて、宅配を受け取り、部屋の掃除と洗濯をし、今年最後の美容院に行って、そのまま帰ってきました。

美容師さんの「今日はブローだけにしておきますね~」という言葉は、忙しくお客さまを回す美容師さんと、このあと何の用事もないわたしの、お互いに妙にあうんな呼吸でした。

 

家に帰り、準備しておいたお鍋と白ワインで夕食を。

そのあと、この日買ってきたペンキとローラーで、キッチンカウンターの背面を塗りました。

寝る前には、簡単にお弁当の準備を。

 

写真にある小さなパソコンは、昔使っていたもの。

今はわたしが寝るときに音楽を聴くためだけに起動しています。

 

特別なイヴではないけれど、こんな日も。

師走を迎えて

2018.12.16

今月に入って、壊れかけていたトースターとコーヒーメーカーを買い替え、とりあえず不要だったキャビネットなどを並べて調理棚として使っていたものをどかしてキッチンカウンターを購入しました。

不要だったものは、再度クローゼット辺りに。

短時間で効率よく、なおかつ気持ちよく料理するには、やっぱり整った環境・設備が必要だと思います。

ここもまた引っ越しするかも知れないと思い、物を増やさないようにしていたけれど、引越しするメリットも今は思いつかないので、ここでの生活を最大限に心地よく楽しめるように。

 

今もたまになりそうになるけれど、あまりにも忙しくなって疲れていた時の食生活は、まかないや外食以外はほとんどコンビニ飯になっていました。

忙しいから、自炊する時間があるくらいなら睡眠に充てたい。

そうやって睡眠を確保できても、栄養面で偏ったり、添加物を多く摂りすぎて、結局体調を壊す。

それをこの1年で繰り返して、ようやく頑張らない程度にお弁当を作ったり、夜ご飯を作ったりしようと思えるようになりました。

 

この日事務所に持って行ったお弁当は、豚こま肉の生姜焼きと、からし菜としめじの胡麻和え。

こんな見栄えもしない単純なお弁当でも、お昼休憩になる前から楽しみだし、食べてホッとするのです。

口から入り、胃で消化し、もっと奥の臓器たちが分解する— 体内ですごい作業があったとしても、手作りのものだと体がスッと受け入れるんですね。

体は正直だなーって、そういうときいつも思います。

 

とにかくめいっぱい働いたこの2018。

来年の目標は、今年より少しだけ緩やかに、そしてもっと笑顔になれる年にしたいなと思うのでした―