明けましておめでとうございます
2019.01.08
暖冬と言われながらも年末から急に寒くなったけれど、去年は3日に雪が降ったことを思えば、凍えるほど寒くもないんだなー、と思います。
そういえば―、
こんな連休、どれくらいぶりだろう。
大晦日の午後2時に仕事を納め、実家に。
みんなでお鍋をつついたあと、最近特に就寝時間が早くなった母は先に寝てしまったけれど、母の連れ合いと2人で歌いながら、紅白を最後まで楽しみました。
翌日の元旦に、近所にある神社で引いたおみくじは、なんと大吉◎
珍しく戒めなどが書かれていなくて、All OK!という内容で驚いたけれど、お守りとして手帳にはさみました。
そういえば、今年に入って2018年を振り返ると、人の辛さや悲しみをとにかく想像した年でした。
生きていく上で必要なものを失った人、負った傷の大きさに将来を悲観した人、そして消えていく命―
いつかは通る道でもあるし、自分もそうだったら…と考えたとき、行きつく先は1つなんだということも。
してあげられることは何一つないということも、それが現実なのだということも。
だからたくさん想像し続けました。
その人一人だけのことではなく、周りの家族や友達が、そのことでどれほど心を痛めるかということも含めて。
想像で作られた痛みというのは、現実よりも疼き、広範囲に倍増していきます。
それで体調を崩しかけたとき、これ以上想像するのは自分のために良くないと思い、全ての想像を少しずつ忘れる努力をしました。
どちらにしても、脳の成すことなので、コントロールはできるようです。
2019年は、2018年に出来なかったこまごました目標を一つずつ達成していけますように―
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
こんな日も
2018.12.24
クリスマス・イブ、久しぶりの休日でした。
前日の帰宅は朝の4時くらいだったけれど、昼には起きて、宅配を受け取り、部屋の掃除と洗濯をし、今年最後の美容院に行って、そのまま帰ってきました。
美容師さんの「今日はブローだけにしておきますね~」という言葉は、忙しくお客さまを回す美容師さんと、このあと何の用事もないわたしの、お互いに妙にあうんな呼吸でした。
家に帰り、準備しておいたお鍋と白ワインで夕食を。
そのあと、この日買ってきたペンキとローラーで、キッチンカウンターの背面を塗りました。
寝る前には、簡単にお弁当の準備を。
写真にある小さなパソコンは、昔使っていたもの。
今はわたしが寝るときに音楽を聴くためだけに起動しています。
特別なイヴではないけれど、こんな日も。
師走を迎えて
2018.12.16
今月に入って、壊れかけていたトースターとコーヒーメーカーを買い替え、とりあえず不要だったキャビネットなどを並べて調理棚として使っていたものをどかしてキッチンカウンターを購入しました。
不要だったものは、再度クローゼット辺りに。
短時間で効率よく、なおかつ気持ちよく料理するには、やっぱり整った環境・設備が必要だと思います。
ここもまた引っ越しするかも知れないと思い、物を増やさないようにしていたけれど、引越しするメリットも今は思いつかないので、ここでの生活を最大限に心地よく楽しめるように。
今もたまになりそうになるけれど、あまりにも忙しくなって疲れていた時の食生活は、まかないや外食以外はほとんどコンビニ飯になっていました。
忙しいから、自炊する時間があるくらいなら睡眠に充てたい。
そうやって睡眠を確保できても、栄養面で偏ったり、添加物を多く摂りすぎて、結局体調を壊す。
それをこの1年で繰り返して、ようやく頑張らない程度にお弁当を作ったり、夜ご飯を作ったりしようと思えるようになりました。
この日事務所に持って行ったお弁当は、豚こま肉の生姜焼きと、からし菜としめじの胡麻和え。
こんな見栄えもしない単純なお弁当でも、お昼休憩になる前から楽しみだし、食べてホッとするのです。
口から入り、胃で消化し、もっと奥の臓器たちが分解する— 体内ですごい作業があったとしても、手作りのものだと体がスッと受け入れるんですね。
体は正直だなーって、そういうときいつも思います。
とにかくめいっぱい働いたこの2018。
来年の目標は、今年より少しだけ緩やかに、そしてもっと笑顔になれる年にしたいなと思うのでした―
LINEスタンプに初挑戦
2018.12.10
久しぶりの投稿です。
今年の春から朝晩と3つの仕事を掛け持ちするようになり、なかなか時間がないなーと思いながら、休みの日や事務所仕事の空き時間を使ってLINEのスタンプを作っていました。
求められて何かを作る=デザイン することが根っから好きなので、LINEスタンプは2018年のわたしの趣味になりました。
こういうキャラクターものって、もともとシュールなものを作っていた自分のタッチを考えると、到底前に進みません。
でも、”キャラクターをデザインする”ことに限定すると、意外といろいろ生まれてくるんですよね。
クリエーターズさんたちが作る様々なスタンプや、わたしの周囲でよく使われているスタンプを観察していると、本当の気持ちを隠した裏腹なスタンプが好まれていることがわかりました。
気づかれたくないものがあったり、オシャレとかかっこいいとかいうものよりちょっとダサいくらいが、自分を代弁してくれてちょうどいいんだろうな、と。
かくいう私も、ちょっと変わったスタンプの方が好きだったりします。
でも、こんな裏返し時代も、現代特有なんだろうなぁ・・・。
と書きつつ、素直でかわいいものをまず作りたいなと思ったので、そんなネコと犬を作りました。
ネコは、”いつも心に太陽を持って”いて、やさしい子。 太陽は赤ちゃんなのでまだ自己表現は下手ですが、いつも抱っこヒモでネコと繋がっていて、寄り添っています。
犬は、自分のことを”ただの犬だよ”と言っているように、ちょっとひねくれていて、でも憎めないかわいい子です。
(12/23追加)ベビーフェイスのスマイルくんの絵文字を作りました。表情豊かで、やさしいタッチです。
このネコと犬は今後も展開していく予定です。
次回の予告は—
現在取り掛かっているのは、少しシュールな哲学者(?)のスタンプです。
こんなヤツ嫌だけど、何となくわかる・・・そんな人が作れたらな。
執着を捨てる
2018.08.03
休日、部屋の片づけや洗濯をしながらふと、放ったらかしだった水彩絵の具を思い出し、形のないものを描きたくなりました。
長らく触っていなかったので、小さいアルミチューブはカチコチ。
大きなポリチューブのものはセーフでした。
ほんの少し前まで、心を取り乱して執着してしまっていたバランスの悪い自分がいて、片方に偏りすぎてやじろべえの支点から外れてしまいそうだと気づきいたとき、水彩絵具のことを思い出したのです。
執着心というのは、踏ん張るときには必要なものではあるけれど、手段が目的になってしまうのとどこか似ていて、もともとある感情が何だったのか見えなくなるほどやっかいなものだとも思います。
それは愛情でも、情熱でも、熱意でも、なんでもない。
そういうとき、わたしはやっぱり、絵を描いたり物を作ることでそれらをコントロールするんだなと気づきます。
頭を空っぽにして、手を動かして、一旦、執着を手放す。
手放したときに残ったもの、それは握りしめすぎて最初のころとはすでに形が違っているかも知れないけれど、きっと本当の感情なんだと思います。
気づくまでに自分自身に翻弄されて疲弊してしまうこともあるけれど、これだから人間らしくていいんだとも思えたりします。
画用紙へチューブから気の向くまま絵具をのせて、あとから水と筆で描きました。
こういうのも面白い。
粘土制作がうまくいかないなと思って少し手を付けた水彩だけれど、やっぱり絵っていいな。
リニューアルのため休止のままになっていたWEB素材屋も、システムの問題が解決したら公開したいなと思っています。