虹の橋から落ちてやしないか
2020.08.26
|8月22日昼すぎの写真|
「悲しいは悔しいということ」
去年の夏、わたしはこの言葉をずっと胸に抱いていました。
(継)父の突然の余命宣告。
衝撃を受けた直後は悲しさでいっぱいになったけれど、何かもっと違う感情―、それはこの事実を自分ではどうにもできないという、悔しさなのだと知りました。
今年に入ってコロナが蔓延しだしたこともあり、やりきれない、歯がゆい気持ちが常に付きまとっていた気がします。
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光について
2020.07.28
梅雨明けを待ちきれずに、土の中からたくさんの蝉が飛び出してきました。
朝からシンシン、シンシン、大合唱。
クリームソーダのような強いコントラストで、否が応でもいろんな記憶を連れて来るのはいつも夏。
わたしの夏贔屓がそうさせているのかなぁ。
あけましておめでとうございます
2020.01.02
今年も、母のお雑煮で年が明けました。
4クール目の抗がん剤を終えた父も、年末に自宅に帰ってきて、3人で年越しを迎えられました。
父は今、母が何を作っても、ヨーグルトやプリンやバナナ、ケーキ、そういうものしか受けつけられないけれど、最初だけ、我慢できる範囲でがんばって母が作るものに口をつけてくれるよう。
大晦日の日に実家へ帰ると、お鍋を用意してくれていた母。
わたしも年末に体がへなちょこになっていたけれど、買って行った安いスパークリングを飲んでいると、父が「しっかり食べてよ(自分の分も)~!」と言うので、しっかり食べたぞ!
という気持ちだったけれど、お鍋って思う以上にお腹が張って食べられないもので-
頭とお腹が繋がっていない状態、いわゆるほんとの消化不良な状態で、夜の11時を回らない頃に1人で年越しを迎えるのでした。
たいてい毎年、母か父のどちらかが先に寝て(ほぼ母が先に寝る)、1人で鐘が鳴るまでテレビを見ています。
去年は父と、紅白を一緒に歌いながら最後まで見た。
この年末はめずらしく母が残り、母も竹内まりやを見て、ほぼすぐに寝ました。
その竹内まりやの話になり、
母がテレビに向かって
「セプテンバーくらい歌ってほしいわぁ」
と言うので、
「え~、でも竹内まりやって、駅、告白、あと… シングル・アゲイン!この3曲やん!?」
と意気揚々と話したとき、母に
「そんなん知らん!」と言われて、あーだこーだ説明したのに、結局
「あんたを産んで、1人で精いっぱいで育ててきて、歌なんて聴く暇もなかったんや!」
と半ば怒り気味に言われたとき、
はて、わたしは誰から竹内まりやを知り、CDまで借りて口ずさめるようになったのか、、、謎で仕方がなかったけれど、そんな誰かがいたのでしょうということで。
そんな中で竹内まりやが挿入曲を歌っている映画とドラマを思い出し、母に教えました(映画の方は今までも何度か話したことがある)。
1つは、キムタクと中山美穂主演のドラマ『眠れる森』/ 挿入曲:竹内まりや『カムフラージュ』。
もう1つは、東野圭吾原作の映画『秘密』/挿入曲:竹内まりや『天使のため息』。
特に大好きな作家である東野圭吾の『秘密』を、もう寝ようとしている母に熱心に語り、その挿入曲の歌詞がさ~と言いながら検索して母に見せる前に読んでいたら、お酒飲んであるある!笑、こみ上げてきたので見せられませんでした。
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go slow
2019.12.14
昨晩、自宅にいる父から電話がかかってきた。
「大丈夫?」
最近お見舞いに行けていない。
父の方が大変なのに、心配されてしまう始末。
先日、出勤前にシャワーを浴びようとして、急に腰が痛みだして立っていることが辛くなり、ベッドに倒れ込んだ。
手に汗を握り、痛みがやむまで唸っていた、と後で気づいた。
わたしは普段、驚いても怪我をしても声を上げない。
少しして、腰と臀部と左足の太ももがガチガチに固まっていることに気づいたので、手の甲でその辺りをマッサージすると、痛みが少し和らいだ気がした。
とりあえず出勤予定の職場に連絡を入れ、もう一つの職場にも、土日の出勤が出来ないかもしれないことを伝える。
この日は午後の診療をしていない病院が多く、数年前に行った整形外科もお休みだった。
市販の痛み止めが効いたので、その日はPC作業をしたり、軽くご飯を作ったりして過ごしていたけれど、食器を取ろうとしてふと違和感があることに気づいた。
しゃがんだ姿勢から立ち上がろうとすると、またしゃがんでしまう。
軸足の左足が、体重を支えられていなかった。
軸足ではない方で立ち上がった。
それが何度か続いた。
皮膚の感覚も、そのとき布の上から触っているような感覚になっていて、軽く知覚麻痺が起こっていた。
夜になり、また少し左足がうずうずと痛み出したけれど、翌日病院へ行く予定だったので痛み止めは飲まずに寝た。
すきま時間の散歩
2019.10.21
うっとうしくて手で何度も払いのけていたものが、ふとそんなことをしなくていい状況になって初めて、寂しいと感じる。
そんな寂しいという感情のいくつかを一通り終えて、ふと肌に冷たい風を感じたとき、
あぁ、ヤツは行ってしまったのだと気づく。
夏は、纏わりつく”人”だった。
最近、数年ぶりに時間を作るようになって―
というのも、多分この数年のあいだ、わたしは遊ぶ時間を作ってはいけないと知らぬ間に自分を縛って、
余白を作ってこなかった…そう思います。
自分で選択してきたはずなのに、毎回問題を起こしていたのは、Noと言わなさ過ぎたことでした。
何をもって余白というのかはわたし自身もわからないけれど、
例えば旅行に行くことであったり、シフトの依頼にNoと伝えることであったり(今まで良くも悪くも全てYes!)、
なにか、必死で生活をしていかないといけない状況にある人間が選択してはいけないことが、
=(イコール)余白であったのかなと思います。
そういう余白を、今は気ままに飲みに出たり、Noと言ったり、散歩に出てみたり、と、作っている感じ。
先月購入したノートパソコンは、旅先や外出先でも自分のアイデンティティのように使えるんじゃないかとワクワクしているのだけれど、何が必要なのかと考え、ソフトやツールをいろいろとインストールし、ペンタブで絵を描きたいから画面の保護フィルムを購入し、あともう少し使いやすくカスタマイズしたら、稼働かな!と思っています。
そういえばこの10年近くいろいろあったけれど、思い至るのが、わたしが自分を捉えきれず、
自分にぶつかり、人にもぶつかり、それでもたまには素直に、そして、惑いながら取捨選択してきたこと-
それらは今でも進行(成長)中の枝葉であるけれど、中にはいい結果になったものもあれば、最悪な結果になったものもありました。
墜落しないように低空で旋回するしかなかった時期も、乗り越えてみれば、
あのときがあってこその今の自分に気づけるし、今の自分がずいぶんあのときの自分を許していることにも気づきました。
自分自身に振り回される、いっぱいいっぱいの時期もあっていいけれど、
空を見上げ、散歩するような時間を作れそうだと感じたときが、そのとき。
なんにも生み出さないような、無駄に思える空白みたいな時間が、
さらにこれからの自分に元気を与えてくれる栄養になるんじゃないかなって。
そんな風に思う最近です。
自己満足な制作もまた再開しようかな✨