光について
2020.07.28
梅雨明けを待ちきれずに、土の中からたくさんの蝉が飛び出してきました。
朝からシンシン、シンシン、大合唱。
クリームソーダのような強いコントラストで、否が応でもいろんな記憶を連れて来るのはいつも夏。
わたしの夏贔屓がそうさせているのかなぁ。
食べること
2019.08.22
珍しい、今朝のガッツリ朝ごはん。
紫黒米(もちろん、萩のむらさき!)に、昨晩作ったキーマカレー。
もともとキーマカレーを作る予定ではなかったのだけれど、夏に食欲をそそるものを…と思い、豚のひき肉を買っていたので、玉ねぎ・色とりどりのピーマン・ごぼうを使って歯ごたえのあるものに。
いっぱい噛まないといけないものは疲れるけれど、食べてる充実感はすごく得られる。
先日、紫黒米をたくさん炊いて、塩にぎりにして、数品作った常備菜と一緒に母に渡しました。
今、わたしの母は、先月末に戸籍上わたしの父となった人=『父』の介助(原発:肺がん、脊椎転移のため外科手術済み、入院中、ⅣB)疲れで、食事もデパートのお惣菜などをとりあえず口に押し込むような毎日だったそうだけれど、持っていったものをおいしいと言ってくれ、翌日も元気に起きられた!ということでした。
実は今月に入って、本人の意向でその父のためにファイトケミカルスープというハーバード大学式野菜スープ(免疫栄養学的に根拠があるらしい)を毎週作りはじめて、仕事の関係でそれまで自炊さえままならなかったのに、スープを取り除いた残りの具材(玉ねぎ・キャベツ・人参・カボチャ)が必然的に手元に残ることで、それを自分の食事にあてればいいのだと思うようになったのです。
それを、カレーにしたりクリームシチューにしたり、オムレツにしたり。
そこから、疲れている母のためにも何かできないかと思い、スープを煮込んでいる時間に、母の食べるものを作り、その半分を自分の常備菜にすることにしたのでした。
実は6年前、今は亡き祖母が膵臓癌で食欲もほとんどなかったとき《☞祖母の最後の1ヶ月―記録》、祖母の家の冷蔵庫にあったものでトマトスープを作ったら、おいしいおいしいと言って完食してくれたことがありました。
そのときもそうだけれど、家族の誰かが作った食事というものは、どんなに腕のいいシェフでも叶わない、食べることに関してパワーを与えるものなのだと実感した過去があります。
父が、娘の作ったファイトケミカルスープを飲んでいるという実感、母が、娘の作ったおかずを食べているという実感。
これってとても大切なことなのだと思います。
わたしには出来ないことが多いけれど、出来ることと言えば、時間を作って料理すること。
わたしという存在の役割。
それが、少しでも、少しでも役に立てますように―
自分の居る場所
2018.07.29
ずいぶんご無沙汰しておりました。
今自ら置いている恵まれた環境で、どこまでできるのだろうかと考えて動く日々、日々。
新たに出会う人たちに優しさを分け与えていただいて、日々些細ながら成長を感じ、わたしはこんな人間だったか?と思うほど、とにかく仕事に精を出しています。
去年あたりから取捨選択してきて、クリアに見えてきたこと。
何をするべきなのか。
何を目標にしているのか。
ほんとに小さなことなのだけれど、1つ1つ叶えていけている途中。
去年あたりから”居場所”というキーワードが頭上を旋回していて、それはどういうことなんだろかと自問自答していました。
家族の少ない自分、子供のいない自分。
ずっと足りないと感じてきたことが鮮明になって、それを埋めるように、居場所を求めて動き出しました。
そんなこんなで心身ともに変動の大きかった7月も、もう終わろうとしています。
粘土制作はわたしにとって、自分にふと返る瞬間という感じで、今は少ししか手を付けられていないけれど、
クリアな、色も匂いも感触もすべてが実感できるものを手にできるとき、今まで以上にいいものができるかも知れないと思ったりしています。
料理もちょくちょく頑張ってます。