光について
2020.07.28
梅雨明けを待ちきれずに、土の中からたくさんの蝉が飛び出してきました。
朝からシンシン、シンシン、大合唱。
クリームソーダのような強いコントラストで、否が応でもいろんな記憶を連れて来るのはいつも夏。
わたしの夏贔屓がそうさせているのかなぁ。
自粛期間中、残りの生き方をどうしたいか、なんてことをとりとめもなく考えていました。
文字にすると悲観的に映るので難しいのだけれど、未来になにも残すことのない人間は、残す者・事のある人のそれよりあっさりしたもので、人それぞれだけれど特にわたしの場合は愛着も薄い。
それでも、悲しいと感じるときにはまさに悲しみの真っただ中にいるし、寂しいと感じるときには確かに孤独感に苛まれるし、ときに壊れて楽になろうとしたり、あぁこれだから人間は…、などと思いながら、わたしも人間臭い人間だなと気づくのです。それも、忘れているかのように何度も、何度も。
〈家呑みではついつい作りすぎてしまう図。 箸休め的なものも作っておいて、食べたものから片付けていき、最後はアテのみの晩酌へ。〉
ちょうど去年のこの月に余命数ヶ月と宣告された継父は、今も実家で闘病生活を送っています。
母も日々いろんな思いを抱えながら今の生活を維持しています。
家族であるわたしも当然いろんなことを思うわけです。
いつかはわたしにも誰かを看取る日が来て、順番を守っていれば、一番最後のわたしは誰にも看取られずに死を迎えることになるけれど、そのときにはきっと空の向こうにいるみんなに会えると思って、嬉しいと思うのかも知れない。
誰もいなくなったこの世界にいるよりも。
〈家呑みで、たくさん作って冷凍しておいた夏野菜のカレーを出すつもりが、ふと「パスタが食べたい」という一言で、メインが2品になってしまったという図。※普段、夜の炭水化物は控えています。〉
そんなことを思いながら、過去のことは全て因果応報に匙をあずけて、内側から湧き出てきた感情に素直に向き合いはじめた最近。
実は、とりわけ何かを書きたかったわけでもなく、節目として残しておきたかった今回。
自分を取り巻く環境がどのようなもので、わたし自身や家族、大切な人にとって、何が最善なのかということを整理できないまま、波打つ心と共にゆらゆらとしています。
何が起こるかわからないのが人生。
選べないものもあるし、自分で選択できることもある。
ダムが決壊するように、押し殺していたはずのものが何かをキッカケにしてあふれ出すこともある。
それは想定外の自分。
何が起こるかわからないのが人生。
だからこそ面白く、スーパーマリオを楽しむように生きたい。
光にさらされてゆくこの世界の中 君を見ていられた
涙が流れて聞こえなかったとしても 空に浮かべていこう
いつも いつも
僕らはまだここにあるさ
光について / GRAPEVINE (1999)
※7/30リライトしました。