Tag Archives: 母

忘れない

2020.12.30

父が亡くなって4カ月が経ちました。
母が元気に日常を取り戻していってくれたらと日々思っているからか、父のことを思い出さない日がありません。
 
あれが好きだった、これは喜ぶはずなどとまだそんなことを思ってしまう習慣がわたしにも残っているけれど、母にはその何倍も何十倍も残っています。
やりきれない日々が続いているのです。
 
たまにわたしの夢に登場してくれる父は、元気な姿で陽気に笑っている父ばかり。
ふと目が覚めると、あの笑顔に会えた喜びと、もう会えないことがわかっている寂しさとで泣いてしまう朝があります。

そして最近ラブソングを聴いていると、なぜだか父と母の2人のことを想い、その度に涙が溢れます。

 

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虹の橋から落ちてやしないか

2020.08.26

|8月22日昼すぎの写真|
 
「悲しいは悔しいということ」
去年の夏、わたしはこの言葉をずっと胸に抱いていました。
 
(継)父の突然の余命宣告。
衝撃を受けた直後は悲しさでいっぱいになったけれど、何かもっと違う感情―、それはこの事実を自分ではどうにもできないという、悔しさなのだと知りました。
今年に入ってコロナが蔓延しだしたこともあり、やりきれない、歯がゆい気持ちが常に付きまとっていた気がします。
 
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あけましておめでとうございます

2020.01.02

今年も、母のお雑煮で年が明けました。
 
4クール目の抗がん剤を終えた父も、年末に自宅に帰ってきて、3人で年越しを迎えられました。
 
父は今、母が何を作っても、ヨーグルトやプリンやバナナ、ケーキ、そういうものしか受けつけられないけれど、最初だけ、我慢できる範囲でがんばって母が作るものに口をつけてくれるよう。
 

大晦日の日に実家へ帰ると、お鍋を用意してくれていた母。
わたしも年末に体がへなちょこになっていたけれど、買って行った安いスパークリングを飲んでいると、父が「しっかり食べてよ(自分の分も)~!」と言うので、しっかり食べたぞ!
という気持ちだったけれど、お鍋って思う以上にお腹が張って食べられないもので-
頭とお腹が繋がっていない状態、いわゆるほんとの消化不良な状態で、夜の11時を回らない頃に1人で年越しを迎えるのでした。
たいてい毎年、母か父のどちらかが先に寝て(ほぼ母が先に寝る)、1人で鐘が鳴るまでテレビを見ています。
去年は父と、紅白を一緒に歌いながら最後まで見た。
この年末はめずらしく母が残り、母も竹内まりやを見て、ほぼすぐに寝ました。
 
その竹内まりやの話になり、
母がテレビに向かって
「セプテンバーくらい歌ってほしいわぁ」
と言うので、
「え~、でも竹内まりやって、駅、告白、あと… シングル・アゲイン!この3曲やん!?」
と意気揚々と話したとき、母に
「そんなん知らん!」と言われて、あーだこーだ説明したのに、結局
「あんたを産んで、1人で精いっぱいで育ててきて、歌なんて聴く暇もなかったんや!」
と半ば怒り気味に言われたとき、
はて、わたしは誰から竹内まりやを知り、CDまで借りて口ずさめるようになったのか、、、謎で仕方がなかったけれど、そんな誰かがいたのでしょうということで。
 
そんな中で竹内まりやが挿入曲を歌っている映画とドラマを思い出し、母に教えました(映画の方は今までも何度か話したことがある)。
 
1つは、キムタクと中山美穂主演のドラマ『眠れる森』/ 挿入曲:竹内まりや『カムフラージュ』。
もう1つは、東野圭吾原作の映画『秘密』/挿入曲:竹内まりや『天使のため息』。
 
特に大好きな作家である東野圭吾の『秘密』を、もう寝ようとしている母に熱心に語り、その挿入曲の歌詞がさ~と言いながら検索して母に見せる前に読んでいたら、お酒飲んであるある!笑、こみ上げてきたので見せられませんでした。
 
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食べること

2019.08.22

珍しい、今朝のガッツリ朝ごはん。

紫黒米(もちろん、萩のむらさき!)に、昨晩作ったキーマカレー。

もともとキーマカレーを作る予定ではなかったのだけれど、夏に食欲をそそるものを…と思い、豚のひき肉を買っていたので、玉ねぎ・色とりどりのピーマン・ごぼうを使って歯ごたえのあるものに。

いっぱい噛まないといけないものは疲れるけれど、食べてる充実感はすごく得られる。

 

先日、紫黒米をたくさん炊いて、塩にぎりにして、数品作った常備菜と一緒に母に渡しました。

 

今、わたしの母は、先月末に戸籍上わたしの父となった人=『父』の介助(原発:肺がん、脊椎転移のため外科手術済み、入院中、ⅣB)疲れで、食事もデパートのお惣菜などをとりあえず口に押し込むような毎日だったそうだけれど、持っていったものをおいしいと言ってくれ、翌日も元気に起きられた!ということでした。

 

実は今月に入って、本人の意向でその父のためにファイトケミカルスープというハーバード大学式野菜スープ(免疫栄養学的に根拠があるらしい)を毎週作りはじめて、仕事の関係でそれまで自炊さえままならなかったのに、スープを取り除いた残りの具材(玉ねぎ・キャベツ・人参・カボチャ)が必然的に手元に残ることで、それを自分の食事にあてればいいのだと思うようになったのです。
それを、カレーにしたりクリームシチューにしたり、オムレツにしたり。
そこから、疲れている母のためにも何かできないかと思い、スープを煮込んでいる時間に、母の食べるものを作り、その半分を自分の常備菜にすることにしたのでした。

 

実は6年前、今は亡き祖母が膵臓癌で食欲もほとんどなかったとき《☞祖母の最後の1ヶ月―記録、祖母の家の冷蔵庫にあったものでトマトスープを作ったら、おいしいおいしいと言って完食してくれたことがありました。

 

そのときもそうだけれど、家族の誰かが作った食事というものは、どんなに腕のいいシェフでも叶わない、食べることに関してパワーを与えるものなのだと実感した過去があります。

父が、娘の作ったファイトケミカルスープを飲んでいるという実感、母が、娘の作ったおかずを食べているという実感。
これってとても大切なことなのだと思います。
 
わたしには出来ないことが多いけれど、出来ることと言えば、時間を作って料理すること。

わたしという存在の役割。
それが、少しでも、少しでも役に立てますように―

明けましておめでとうございます

2019.01.08

明けましておめでとうございます。

暖冬と言われながらも年末から急に寒くなったけれど、去年は3日に雪が降ったことを思えば、凍えるほど寒くもないんだなー、と思います。

 

そういえば―、

こんな連休、どれくらいぶりだろう。

 

大晦日の午後2時に仕事を納め、実家に。
みんなでお鍋をつついたあと、最近特に就寝時間が早くなった母は先に寝てしまったけれど、母の連れ合いと2人で歌いながら、紅白を最後まで楽しみました。

 

翌日の元旦に、近所にある神社で引いたおみくじは、なんと大吉◎
珍しく戒めなどが書かれていなくて、All OK!という内容で驚いたけれど、お守りとして手帳にはさみました。

 

そういえば、今年に入って2018年を振り返ると、人の辛さや悲しみをとにかく想像した年でした。

生きていく上で必要なものを失った人、負った傷の大きさに将来を悲観した人、そして消えていく命―

いつかは通る道でもあるし、自分もそうだったら…と考えたとき、行きつく先は1つなんだということも。

してあげられることは何一つないということも、それが現実なのだということも。

だからたくさん想像し続けました。

その人一人だけのことではなく、周りの家族や友達が、そのことでどれほど心を痛めるかということも含めて。

想像で作られた痛みというのは、現実よりも疼き、広範囲に倍増していきます。

それで体調を崩しかけたとき、これ以上想像するのは自分のために良くないと思い、全ての想像を少しずつ忘れる努力をしました。

どちらにしても、脳の成すことなので、コントロールはできるようです。

 

2019年は、2018年に出来なかったこまごました目標を一つずつ達成していけますように―

本年もどうぞよろしくお願いいたします。