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虹の橋から落ちてやしないか

2020.08.26

|8月22日昼すぎの写真|
 
「悲しいは悔しいということ」
去年の夏、わたしはこの言葉をずっと胸に抱いていました。
 
(継)父の突然の余命宣告。
衝撃を受けた直後は悲しさでいっぱいになったけれど、何かもっと違う感情―、それはこの事実を自分ではどうにもできないという、悔しさなのだと知りました。
今年に入ってコロナが蔓延しだしたこともあり、やりきれない、歯がゆい気持ちが常に付きまとっていた気がします。
 
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食べること

2019.08.22

珍しい、今朝のガッツリ朝ごはん。

紫黒米(もちろん、萩のむらさき!)に、昨晩作ったキーマカレー。

もともとキーマカレーを作る予定ではなかったのだけれど、夏に食欲をそそるものを…と思い、豚のひき肉を買っていたので、玉ねぎ・色とりどりのピーマン・ごぼうを使って歯ごたえのあるものに。

いっぱい噛まないといけないものは疲れるけれど、食べてる充実感はすごく得られる。

 

先日、紫黒米をたくさん炊いて、塩にぎりにして、数品作った常備菜と一緒に母に渡しました。

 

今、わたしの母は、先月末に戸籍上わたしの父となった人=『父』の介助(原発:肺がん、脊椎転移のため外科手術済み、入院中、ⅣB)疲れで、食事もデパートのお惣菜などをとりあえず口に押し込むような毎日だったそうだけれど、持っていったものをおいしいと言ってくれ、翌日も元気に起きられた!ということでした。

 

実は今月に入って、本人の意向でその父のためにファイトケミカルスープというハーバード大学式野菜スープ(免疫栄養学的に根拠があるらしい)を毎週作りはじめて、仕事の関係でそれまで自炊さえままならなかったのに、スープを取り除いた残りの具材(玉ねぎ・キャベツ・人参・カボチャ)が必然的に手元に残ることで、それを自分の食事にあてればいいのだと思うようになったのです。
それを、カレーにしたりクリームシチューにしたり、オムレツにしたり。
そこから、疲れている母のためにも何かできないかと思い、スープを煮込んでいる時間に、母の食べるものを作り、その半分を自分の常備菜にすることにしたのでした。

 

実は6年前、今は亡き祖母が膵臓癌で食欲もほとんどなかったとき《☞祖母の最後の1ヶ月―記録、祖母の家の冷蔵庫にあったものでトマトスープを作ったら、おいしいおいしいと言って完食してくれたことがありました。

 

そのときもそうだけれど、家族の誰かが作った食事というものは、どんなに腕のいいシェフでも叶わない、食べることに関してパワーを与えるものなのだと実感した過去があります。

父が、娘の作ったファイトケミカルスープを飲んでいるという実感、母が、娘の作ったおかずを食べているという実感。
これってとても大切なことなのだと思います。
 
わたしには出来ないことが多いけれど、出来ることと言えば、時間を作って料理すること。

わたしという存在の役割。
それが、少しでも、少しでも役に立てますように―