途中段階
2017.08.29
できあがったように見えた顔を削り、粘土を足し、また削り…
そんな風に、何度も顔を失ってその上にできあがる顔。
顔の造形を作る、一見無情にも見えそうなその作業は、なんとなく今までの自分の人生と重なったりします。
過去の自分をないことにせず認めて、さらに次の一歩を踏み出すことは容易ではないけれど、今をどう生きるかがとても大切で。
そして過去は、解決することのないほんの少しの悩みみたいなもので、実はそれは自分を成長させるための糧であるのだと、最近思えるようになりました。
恥ずかしい過去なんてない、否 そうではなく、誰にでもあって、それを生かすも殺すも自分次第なのだと。
それがあるからこそ、最善とはいかないまでも成長過程の今の自分があるのだと。
そしてそれを見守り、支えてくれている家族や友人がいるということも忘れてはいけません。
そう思えるようになったのは、やっぱり年を重ねたからなんだなーと感じます。
鈍感になってきた、とも言えるけれど。
― 時が解決できることもあることを知った大人は、待つことができるようになる。
― 待つことができるようになった大人は、待っている間に何ができるか考えるようになる。
年をとるって、若さは無くなっていくけれど、いいもんだなぁ… 熟すとはこういうことか。
このヒトもまた変わっていきます。
変わっていきました。
全ては途中段階。