シンプルな思考
2017.09.14
わたしはいつも、わざわざ大変な方に足を突っ込むねと、近しい人たちに言われる。
確かに、昔から全く知らない世界や、決して寄り添えるとも思えない世界に飛び込んでしまうところがある。
あるのかないのかもわからない自分の潜在能力を掘り起こそうとしているのか、何を信じてそんな風に生きてきたのかいまだにわからない。
ただ、そろそろそんな生き方はやめないといけないなと思う。
そう思っていたのに、いろんなことのタイミングが重なってまた複雑な方向へ向かってしまっていた。
シンプルな思考になりたい、のに。
シンプルになることってどうしてこんなに難しいんだ!!
好きなことだけをして生きていくことがシンプルということでもないし、何にもないということでもない。
幅広く点在するものをしっかりと統括し、その上余分なものを、排除するのではなく視野から外していくことが、シンプルということになるんじゃないかなと考えたりする。
そして私はいつもシンプルとは真逆のところにいる。
結局は今のところ自分の統括力がないのだ。
でも、それを知ってからは、螺旋のようにまわりまわって、最初から何もないよりもはるかに潔い自分なりの”シンプル”になるんではないかと、そういう期待だけは残して前進しようと思うのです。
夏の背中を見送りながら
2017.09.10
急に秋めいてきて、そばにいるのにまともに会話をしなかった夏の背中を見送っています。
今年の夏は暑さや湿気を感じるばかりで、満喫とは程遠く、ただただ夏にまだ居てほしいという思いだけで過ごした。
行ってしまうなんて。
秋もいいけれど、寂しいなぁ。
URAMADOの制作は、連勤に突入するので一旦休止。
今のところ3体はニス塗り待ちで、2体はこれから着彩です。
2年前からはじめたスローペースな粘土制作は、1つ作るたびに発見があり、それが次の作品につながります。
久しぶりとなった今回の制作は、以前のものとは大きさもずいぶん変え、色の質感だけでなく、立体的な表現も試みました。
制作の工程は増えたけれど、その分自由度が高くなった!
完成しましたら、いつもお世話になっているranbu(大阪)さんに納品予定ですので、ぜひ手にとって見て頂けたらと思います◎
途中段階
2017.08.29
できあがったように見えた顔を削り、粘土を足し、また削り…
そんな風に、何度も顔を失ってその上にできあがる顔。
顔の造形を作る、一見無情にも見えそうなその作業は、なんとなく今までの自分の人生と重なったりします。
過去の自分をないことにせず認めて、さらに次の一歩を踏み出すことは容易ではないけれど、今をどう生きるかがとても大切で。
そして過去は、解決することのないほんの少しの悩みみたいなもので、実はそれは自分を成長させるための糧であるのだと、最近思えるようになりました。
恥ずかしい過去なんてない、否 そうではなく、誰にでもあって、それを生かすも殺すも自分次第なのだと。
それがあるからこそ、最善とはいかないまでも成長過程の今の自分があるのだと。
そしてそれを見守り、支えてくれている家族や友人がいるということも忘れてはいけません。
そう思えるようになったのは、やっぱり年を重ねたからなんだなーと感じます。
鈍感になってきた、とも言えるけれど。
― 時が解決できることもあることを知った大人は、待つことができるようになる。
― 待つことができるようになった大人は、待っている間に何ができるか考えるようになる。
年をとるって、若さは無くなっていくけれど、いいもんだなぁ… 熟すとはこういうことか。
このヒトもまた変わっていきます。
変わっていきました。
全ては途中段階。