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個展を終えて

2021.12.01

神戸での個展、終了いたしました。

3週間という短くはない展示期間。体感的にはあっという間でした。
でも、気持ちの上では時間軸が違っていて、toiroのオーナーであるまささんとの出会いからの長い年月が3週間の中にたんまりと凝縮されて、最終日に、長い道のりを歩いてきたような感覚になりました。
これからだって道はまだまだ続くけれど、来た道を初めて振り返り、こんなにも歩いてきたのかと。
感慨深い中、搬出作業をしました。

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多面体

2018.01.23

すごい変化ですねと、いつも言ってくださるranbu(大阪)さんのオーナーである榎園さん。

作品は確かに変化している、し、もっと頭の中にあるイメージに近づけたいと思うのだけれど、実はまだまだ近づいていません。

またスローペースながら、今年も制作をはじめました。

 

実は、鏡を使って自分の作品を撮ることがなんとなく好きだなーと気づいたここ最近。

上の写真は、1人の人が鏡を見ているのだとわかるけれど、下の写真になると、鏡ではなく、人が2人いるように見えませんか?

向こう側の人はこちら側の人を見、こちら側の人は、わたしたちの方を見ているようにさえ見える。

錯視でもないのに、この人の右目はどこに向いているんだろう…

わたしだけの感覚かも知れないけれど、こういうのって大好きなサスペンス映画の何かみたいでワクワクします。

日頃、鏡は目の前のものを映しているだけなのに、すごく不思議なアイテムだと感じます。

お前は何を見ようとしている?何を見ている?目の前の自分を本当に見ているのか?と―

自問自答するものなのかな。

 

誰かの態度や言動が悪い意味で気になったとき、実は自分に原因があったということがあったりします。

そういうことに気づくにはまず鏡を見てみること。

相手のそういった態度などが少なからず自分にも原因があったと気づくことができれば、今度同じようなことが起きたときも、同じ対処ができる。

まずは人ではなく自分のことを知ることが大切なのだな、と。

比喩でもあるけれど、鏡を見ること・使うことは、そういう意味でもあるのだと思います。

 

気づいたときがはじまりのとき。

さてさて、今日はどんな顔をしているのかな―

夏の背中を見送りながら

2017.09.10

ウラマドンナたち

急に秋めいてきて、そばにいるのにまともに会話をしなかった夏の背中を見送っています。

今年の夏は暑さや湿気を感じるばかりで、満喫とは程遠く、ただただ夏にまだ居てほしいという思いだけで過ごした。

行ってしまうなんて。

秋もいいけれど、寂しいなぁ。

 

URAMADOの制作は、連勤に突入するので一旦休止。

今のところ3体はニス塗り待ちで、2体はこれから着彩です。

2年前からはじめたスローペースな粘土制作は、1つ作るたびに発見があり、それが次の作品につながります。

久しぶりとなった今回の制作は、以前のものとは大きさもずいぶん変え、色の質感だけでなく、立体的な表現も試みました。

制作の工程は増えたけれど、その分自由度が高くなった!

完成しましたら、いつもお世話になっているranbu(大阪)さんに納品予定ですので、ぜひ手にとって見て頂けたらと思います◎

途中段階

2017.08.29

粘土制作過程

できあがったように見えた顔を削り、粘土を足し、また削り…

そんな風に、何度も顔を失ってその上にできあがる顔。

顔の造形を作る、一見無情にも見えそうなその作業は、なんとなく今までの自分の人生と重なったりします。

過去の自分をないことにせず認めて、さらに次の一歩を踏み出すことは容易ではないけれど、今をどう生きるかがとても大切で。

そして過去は、解決することのないほんの少しの悩みみたいなもので、実はそれは自分を成長させるための糧であるのだと、最近思えるようになりました。

 

 

恥ずかしい過去なんてない、否 そうではなく、誰にでもあって、それを生かすも殺すも自分次第なのだと。

それがあるからこそ、最善とはいかないまでも成長過程の今の自分があるのだと。

そしてそれを見守り、支えてくれている家族や友人がいるということも忘れてはいけません。

そう思えるようになったのは、やっぱり年を重ねたからなんだなーと感じます。

鈍感になってきた、とも言えるけれど。

 

― 時が解決できることもあることを知った大人は、待つことができるようになる。

― 待つことができるようになった大人は、待っている間に何ができるか考えるようになる。

 

年をとるって、若さは無くなっていくけれど、いいもんだなぁ… 熟すとはこういうことか。

 

このヒトもまた変わっていきます。

変わっていきました。

全ては途中段階。